<まるごと青森のバラ焼きのルーツ1>
まるごと青森のバラ焼きのルーツ2
活動を始めて間もないころ、この記事を見てその歴史観と分析の鋭さに圧倒。そしてなおきさんから一言。「何か歴史的な物的証拠は残ってないかな?」と。一時は歴史探索チームの編成まで話は及びました(爆)。
そんな中、私でもできる事があればと思い、後輩S君と一緒に暇を見つけて図書館へ。過去の新聞記事を片っ端からめくってみましたところ、ようやくこれが出てきました。
昭和33年11月27日。当時十和田で発刊されていた「皆さんの新聞」の新聞広告です。この広告は、この日から3ヶ月続けられておりました。
「開店即好評!牛肉のバラ焼き[永楽] 稲生座向かい」
これが何を物語っているか?
一ついえるのは、牛肉のバラ焼きを提供するお店が既に昭和33年にはあったこと。十和田での元祖のお店を探る一つの目安となります。
もう一つ。これは推測ですが、広告がでたということで、この時期が十和田でブレイクした時期の基準となることです。
というのは、広告はその当時の人々が興味を引くものに対してお店が自分のところに来てもらうためにやるもの。少なくとも十和田市民に対して「バラ焼き」というメニューが浸透してなければ、こんな広告をすることはないと思われるためですね。
逆に「何だ?牛肉のバラ焼きって?」ということを狙ったのかもしれません。ここは当時の生き証人(大体70歳くらいの人がいいのかな?)に語ってもらうしかないでしょう。
でも、見つかってよかった(爆)。少なくとも昭和33年には十和田に存在していた事が判ったので嬉しいです。
あと、できれば十和田での元祖店が判明すれば最高!
今現在で「自分のところが・・」と言う方もおりますが、主張だけではいけません。やっぱり「動かぬ証拠」がないとね(^^)。
もっとも、本家は三沢ですので(爆)まあ、三沢の「赤のれん」さんか、三沢に居て十和田に引っ越してきたと言う「食道園」さんか、どちらかが「本家」になるのでしょうか?
ちなみに「大昌園」さんのオープンは昭和40年代前半。また、「金龍食堂」さんもそれよりちと早いくらいだと言う事。
今後は古いお店の取材なんかして、当時の写真なんかが出てくれば言う事なしですな(爆)