2009年10月20日

十和田バラ焼きの歴史 「永楽」食堂

 昭和33年11月27日発行の「皆さんの新聞」広告に載っていた
永楽食堂の取材報告です.

永楽5.jpg

永楽4.jpg

永楽2.jpg


十和田町役場に勤められていた山端正美さん(87)が退職後、
昭和33年に現在の十和田富士屋ホテル向かいにある
「韓国料理 伽椰(かや)」の場所で、「永楽食堂(以下・永楽)」
という大衆食堂を開いたのが始まり。

      当時の永楽食堂
        ↓↓
永楽.jpg

元々「バラ焼き」は、三沢市にある君乃家が網焼きで味付きのバラ肉を提供していたもので、網焼きでは煙が出ることから店内や家庭で食べられるよう、永楽では、開店時に鉄板で肉を焼くことを考えた。ただ、肉を焼くだけでは、量が少ないことから野菜を入れボリュームを出すことを考案した。永楽では、バラ焼きの他、麺類やどんぶり物もメニューにあり、稲生座の前であったこともあって、繁盛していた。

 現在のバラ焼き提供店の「大昌園」「食道園」などは、永楽食堂のずっと後に開業したもので、元々三沢市にあった店から分家したものではないかと推測されます。

 当時、三沢市には焼き肉店が多くあり、永楽が開店した昭和33年以前の昭和28年頃には既に、「赤のれん」があったそうで、山端さん曰く、『赤のれんで食べたことがないので、バラ焼きを提供していたかどうかは分からない』とのこと。また、「バラ焼き」をメニューに加えるに、三沢の君乃家からのアドバイスが強くあったようである。

 
posted by 十和田バラ焼きゼミナール at 23:55| 青森 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | バラ焼き調査 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
久しぶりの登場です。なんせテレビの取材対応で少々ハードにしていました。というわけで、ついに永楽のおやじさんの記事がUPしましたね〜。渋い写真とともにコメントも載せていただきました。我輩は思うのです。バラ焼きってすごい、この昔からの匂いと、今まさにテレビ等で紹介されている今の匂いと、このふたつが、ん〜なんと表現したらよいのだろう。明、暗、静と動、華やか、渋さ、昭和30年代の頃の皆さんは誰もが庶民の食べ物バラ焼きがこのように脚光を浴びるなんて想像もしなかったであろう。すばらしい・・・・・

奥入瀬の紅葉の茶とバラ焼きの玉葱の茶と永楽の写真の茶に
おくります、ラビアンローズ。。。。。。
Posted by 髭男爵 at 2009年10月21日 08:26
とっても興味深い記事で、もう何度も何度も読み直してしまいました。
続きがあるんでしょうか?
とっても楽しみです。
Posted by なおき at 2009年10月21日 20:46
>なおきさん
 
 永楽食堂については、今回だけです。

 今後、新しい情報が入り、確認がとれ次第
このブログでお知らせしていきたいと思います。 

 
Posted by 副班長 at 2009年10月22日 19:18
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